読書を趣味に ≫ 田中経一さんのおすすめ小説 ≫ 「歪んだ蝸牛 田中経一」おすすめ小説を読もう
好きな小説
おすすめ度☆☆☆☆
二〇一七年 四月十三日 (木)
「番組スタートまで五分前!」
第4スタジオ副調整室に、タイムキーパーの声が響きわたった。
時刻は夜七時五十五分。通称サブと呼ばれる副調整室には、壁際にモニターがずらりと並び収録機材がひしめき合うように置かれている。中央にディレクターとタイムキーパーが座り、その右側にスイッチャー(映像をスイッチングする技術者)とVE(ビデオエンジニア)、左側に音声、その後ろに音響効果と、総勢十五名が陣取っている。
プロデューサー兼総合演出の五味剛は、他のスタッフが全て椅子に座っている中、一人だけ立ってVEに怒鳴り声を上げていた。
「なんで今になってカメラがトラブっちゃうわけ? 危ないと思ったら、バックアップ一台持っていけばいいことだよね」
「申し訳ないです」
VEのチーフがぺこぺこと頭を下げる。
「実はさ、俺の方にも犯人の心当たりがあるんだよ」
「……」
凜は、視線を五味の眼から動かさずに聞いている。その目からは少しも油断はしないという意志が感じ取れる。
「ただね、俺にも証拠がない」
そこまで言うと、五味はグレープフルーツジュースに口を付けた。

歪んだ蝸牛 田中経一 
「歪んだ蝸牛 田中経一」おすすめ小説を読もう
- 2019/09/17
- 10:06
好きな小説
歪んだ蝸牛 田中経一
おすすめ度☆☆☆☆
新東京テレビの「生激撮! その瞬間を見逃すな」は警察の捜索シーンを生放送するというバラエティー番組で、高視聴率の人気番組だ。
そのプロデューサー五味剛は過去に別の番組でヤラセを指摘された。五味はこれからもヤラセをやり続けると言って干されていたが、現場復帰してこの超人気番組を作り上げた。
その収録現場で立て続けにトラブルが起こる。そのトラブルはいずれも五味と同期で編成部長の板橋に対する嫌がらせのような内容だった。板橋は過去に五味が起こしたヤラセについて処分を下した人物だった。番組の中でのトラブルは、ヤラセの件で板橋に怨みを持つ五味の仕業ではないかと疑われた。
疑った人物は今年入社した新人アナウンサー板橋凜、板橋の娘だった。凜は五味の仕業だという証拠をつかもうとする。
いったい誰の仕業で起こったトラブルなのか?
五味の知らないところでは権力闘争もからんでいく。
五味という男のテレビ屋として番組制作の志に感動します。テンポよく読みすすめられて映像が浮かぶような作品でした。
そのプロデューサー五味剛は過去に別の番組でヤラセを指摘された。五味はこれからもヤラセをやり続けると言って干されていたが、現場復帰してこの超人気番組を作り上げた。
その収録現場で立て続けにトラブルが起こる。そのトラブルはいずれも五味と同期で編成部長の板橋に対する嫌がらせのような内容だった。板橋は過去に五味が起こしたヤラセについて処分を下した人物だった。番組の中でのトラブルは、ヤラセの件で板橋に怨みを持つ五味の仕業ではないかと疑われた。
疑った人物は今年入社した新人アナウンサー板橋凜、板橋の娘だった。凜は五味の仕業だという証拠をつかもうとする。
いったい誰の仕業で起こったトラブルなのか?
五味の知らないところでは権力闘争もからんでいく。
五味という男のテレビ屋として番組制作の志に感動します。テンポよく読みすすめられて映像が浮かぶような作品でした。
書き出し
二〇一七年 四月十三日 (木)
「番組スタートまで五分前!」
第4スタジオ副調整室に、タイムキーパーの声が響きわたった。
時刻は夜七時五十五分。通称サブと呼ばれる副調整室には、壁際にモニターがずらりと並び収録機材がひしめき合うように置かれている。中央にディレクターとタイムキーパーが座り、その右側にスイッチャー(映像をスイッチングする技術者)とVE(ビデオエンジニア)、左側に音声、その後ろに音響効果と、総勢十五名が陣取っている。
プロデューサー兼総合演出の五味剛は、他のスタッフが全て椅子に座っている中、一人だけ立ってVEに怒鳴り声を上げていた。
「なんで今になってカメラがトラブっちゃうわけ? 危ないと思ったら、バックアップ一台持っていけばいいことだよね」
「申し訳ないです」
VEのチーフがぺこぺこと頭を下げる。
五味は黒い革のジャケットの下はTシャツ、オールドウォッシュのジーンズを穿いている。髪は耳に被さるくらいの長さで、四十四歳の年齢よりも若く見える。
五味はVEに文句を言いながら、ずっと右手の小指を耳に突っ込んでごそごそと動かしていた。
五味はVEに文句を言いながら、ずっと右手の小指を耳に突っ込んでごそごそと動かしていた。
「いい絵だったなあ」
いつの間にか上着を脱いでTシャツ姿になっていた五味が満足そうに呟いた。
いつの間にか上着を脱いでTシャツ姿になっていた五味が満足そうに呟いた。
この日、気分を曇らせたのは、「生激撮! その瞬間を見逃すな 19.8%」」の文字。これまでの最高視聴率を記録していた。
板橋はそれをしばらく見つめたのち、ゆっくりと立ち上がり、ネクタイの結び目をぎゅっと手で押し上げた。
板橋はそれをしばらく見つめたのち、ゆっくりと立ち上がり、ネクタイの結び目をぎゅっと手で押し上げた。
「しかし、いま新たな問題が巻き起こっています」
板橋は、編成部員たちの注意を喚起するために間を取った。
板橋は、編成部員たちの注意を喚起するために間を取った。
板橋の言葉を、若手編成マンは一字一句聞き漏らさないようにパソコンに打ち込んでいる。板橋の声以外は、そのキーボードを叩く音しか会議室には聞こえなかった。
板橋は、その眼鏡の奥から全員の視線が全て自分に集まるのを確認して話を再開した。
藤堂は他人事のような口ぶりで話した。そして、小野の前に座り直すと、腕組みした状態の右手で顎のあたりをいじりながら続けた。
「山場は株主総会の手前だろうな。五月末から六月頭」
「山場は株主総会の手前だろうな。五月末から六月頭」
「こんな噂を聞いたことあるか?」
小野は身を乗り出して聞き耳を立てた。
小野は身を乗り出して聞き耳を立てた。
山岡の言葉は均一のリズムを刻み続けていた。まるで脳の片方で言葉を紡ぎ、もう片方で相手の様子を探り続けているように感じられた。
こんなシーンを隠し撮りしたのか。板橋の頭は混乱状態に陥った。眼鏡の奥の眼球が小刻みに震えているのがわかる。耳の裏から首筋に冷たい汗が伝った。
『お話があります。お時間ください』
小ざっぱりとしたメールだった。短い分、かえって凜の気迫が感じられる。
小ざっぱりとしたメールだった。短い分、かえって凜の気迫が感じられる。
当たり障りのない五味の答えは、凜が期待したものではなかったようだ。凜は一つため息をつくと、話の方向をすぐに変えた。
「実はさ、俺の方にも犯人の心当たりがあるんだよ」
「……」
凜は、視線を五味の眼から動かさずに聞いている。その目からは少しも油断はしないという意志が感じ取れる。
「ただね、俺にも証拠がない」
そこまで言うと、五味はグレープフルーツジュースに口を付けた。
凜は奥歯をぎゅっと噛んだ状態で、五味の話を我慢して聞いている。
普通の女性なら、感情のまま五味に向かって「白状しろ」と詰め寄ってきてもおかしくないが、凜は自分の言葉を呑み込み、感情を理性でコントロールしている。五味は、改めて板橋凜という女性の頭の良さを感じていた。
普通の女性なら、感情のまま五味に向かって「白状しろ」と詰め寄ってきてもおかしくないが、凜は自分の言葉を呑み込み、感情を理性でコントロールしている。五味は、改めて板橋凜という女性の頭の良さを感じていた。
凜は難しい表情をした。五味と対峙したときから、胸の前で両の拳をギュッと組んだ状態を続けている。
凜の組まれた両の拳にさらに力が入った。五味に気を許すまいという気持ちの表れなのだろう。
五味が覗き込んだ二重瞼の奥にある瞳孔は、こちらを呑み込まんばかりに広がっていた。
五味はもう語り掛けない。凜の中で結論が出るのを待つだけだった。しばらく目で会話を続けた後、凜がようやく口を開いた。
五味が覗き込んだ二重瞼の奥にある瞳孔は、こちらを呑み込まんばかりに広がっていた。
五味はもう語り掛けない。凜の中で結論が出るのを待つだけだった。しばらく目で会話を続けた後、凜がようやく口を開いた。
凜は自分の感情を鎮めるように、咀嚼を続けた。対決から社交へとスイッチを切り替えようとしているように見える。
「来たときの顔に戻ったね」
五味の冗談にも顔を崩さなかった。
ヒールの音を正確に刻みながら去っていく凜の後ろ姿を、五味は座ったまま見送った。
五味の冗談にも顔を崩さなかった。
ヒールの音を正確に刻みながら去っていく凜の後ろ姿を、五味は座ったまま見送った。
小野は小さく頷いた。涼子は釣糸の先にある浮きがピクンと動いたような興奮を覚えた。
伊達の口からゆっくりと吐き出される煙を見つめながら、板橋の心はますます乾いていった。
ファクスを手に取った板橋は、立ったまま大きな声を上げた。
「うそだろ!」
ファクスを持つ手は震え、呼吸が荒くなり、黒縁の眼鏡の奥で瞼が軽く痙攣した。
それは明後日、金曜日発売の週刊誌のゲラ刷りだった。その見出しには大きくこう書かれている。「破廉恥!新東京テレビの編成部長の不倫動画をネットで発見!」
「うそだろ!」
ファクスを持つ手は震え、呼吸が荒くなり、黒縁の眼鏡の奥で瞼が軽く痙攣した。
それは明後日、金曜日発売の週刊誌のゲラ刷りだった。その見出しには大きくこう書かれている。「破廉恥!新東京テレビの編成部長の不倫動画をネットで発見!」
今までの人生で経験したことのない事態だった。全身から脂汗が滲み出てくるのがわかった。腋(わき)の下から出た冷たい汗が脇腹を伝っていく。
「もしもし」
サブにいるスタッフ全員が五味に注目した。
「それで……」
五味は椅子から立ち上がり、願いを込めるように受話器を両手で握りしめている。
サブにいるスタッフ全員が五味に注目した。
「それで……」
五味は椅子から立ち上がり、願いを込めるように受話器を両手で握りしめている。
五味は、赤坂にある外堀通り沿いの巨大なビルのたもとに立っていた。ビルを覆い尽くす反射ガラスが、雲の少ない五月の青空を鮮やかに映し出している。
山岡は、目を閉じ口をつくんだままだった。聞こえるのは空調の静かなノイズだけだ。
板橋の視線に五味の足が止まった。板橋の顔は徹夜の運転のせいか憔悴しきっていたが、眼鏡の奥のくぼんだ眼だけは、病室に紛れ込んできた外敵に闘争心を光らせていた。
「お前の来るところじゃない」
板橋の心の声が、五味には聞こえた。
それでも五味は、板橋が張った結界を潜るようにして、凜のいるベッドに近づいた。
「お前の来るところじゃない」
板橋の心の声が、五味には聞こえた。
それでも五味は、板橋が張った結界を潜るようにして、凜のいるベッドに近づいた。
病室を出ると、ドアの脇に板橋庄司が立っていた。
板橋は少し話があると、五味を病院の中庭に誘い出した。五味にも、板橋に伝えたいことがあったので、ちょうどいい流れだった。
中庭に出てみると、雲も見当たらない青空の下、初夏の穏やかな風が感じられた。木々に囲まれ、芝生が綺麗に敷き詰められており、入院患者たちが散歩を楽しんでいる。
板橋は少し話があると、五味を病院の中庭に誘い出した。五味にも、板橋に伝えたいことがあったので、ちょうどいい流れだった。
中庭に出てみると、雲も見当たらない青空の下、初夏の穏やかな風が感じられた。木々に囲まれ、芝生が綺麗に敷き詰められており、入院患者たちが散歩を楽しんでいる。
「一言だけ言ってもいい?」
「旅行先のこと? いいよ、言って」
「旅行先じゃないよ。言いたいのわさ……」
涼子は一つだけ言葉を発して、携帯を切った。
「旅行先のこと? いいよ、言って」
「旅行先じゃないよ。言いたいのわさ……」
涼子は一つだけ言葉を発して、携帯を切った。
負の環境は、罪のない人の心まで容赦なく押しつぶしていく。

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- テーマ:読んだ本の感想等
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