読書を趣味に ≫ 小説から表現、描写を学ぶ ≫ 原田マハさんの奇跡の人の表現、描写


原田マハさんの奇跡の人の表現、描写
- 2021/01/06
- 09:00
原田マハさんの奇跡の人より

清々しく晴れ渡った夏の空が、青ひと色をたたえて広がっている。
日が高く昇るにつれ、セミの声が響き始める。最初はしみじみとした音色で、やがて大音量となって、屋敷の中をも満たす勢いだ。
ぽかんとしていたれんの顔に、雲間から光が差すように微笑みが広がった。
まぶしい西日が差し込んだ。安は空を見上げた。
うっすらと紅が溶けた茜空が、どこまでも広がっている。
彼女の絹糸のようになめらかな黒髪をやさしく撫で、胸元に抱き寄せて、母と娘、ふたりきりの、心安らかな時間を過ごしていることだろう。
挑発的な物言いに、男爵の顔色がさっと変わった。かすかに怒気を含んだ声色で、貞彦が返した。
花が終われば、若々しい萌黄色の葉がいでて、目にもさわやかな風景へと移り変わる。
桜の若葉は、徐々に色濃い緑の影を落とすようになっていた。
さようなら
口の中で小さくつぶやいた瞬間、涙が一筋、まなじりを伝って落ちた。
唇にはうっすらと紅を差し、抜けるように白い肌を際立たせている。閉じたまぶたの上にもかすかに紅色をのせ、豊かなまつげがふんわりとまぶたの丸みを縁取っている。
うららかな朝の光が、屋敷の廊下にこぼれている。
どこからか、かぐわしい甘い香りが漂ってくる。庭のあちこちで咲きこぼれた春の花花が、芳香を温んだ空気に放っている。
暗雲が重たくよしの額にかかっているのを見て、本心からそう言っているのではないと、安にはわかっていた。
「それができないのなら、ここにいていただく必要などないのでは?」
「いい加減にしねか、辰彦。言葉が過ぎるぞ」
貞彦がたまりかねて言った。辰彦はいったん矛を収めはしたが、苦々しさを眉間に集めたままだった。
説明を聞いているあいだじゅう、よしは、膝の上で両手を固く組んでいた。身体が震えてしまうのを、どうにか押さえつけているようだった。そして、安の説明の一言一句を決して聞き逃すまいと、全身を耳にして、のめり込んでいた。
暗い部屋の行灯のもとで手紙をしたためながら、私は記憶のクローゼットの扉を開きます。お気に入りの引き出しを開けると、そこから匂い立つのは、咲き誇るアゼレアの花。
ほとんど一睡もできぬまま、天井に向かってぴたりと視線を貼りつけて、安は夜を過ごした。
分厚い真綿布団の中に入って、目を閉じる。静まり返った水の底のような闇の中、鼓膜の奥に、介良男爵の言葉が禍々しく蘇る。
春の光をいっぱいに受けて、さかんにきらめく川面を、私は飽かず眺め続けました。
女のほうは、顔を赤くして挨拶を述べると、額が膝につきそうなほど深々と辞儀をした。
幌をたたむと、西に傾き始めた日のきらめきがたちまち彼女を包みこんだ。目を細めて、光に満ち溢れた風景を眺める。
次第に視力は衰えていった。いつ見えなくなるかという不安が、重苦しい霧のように、安の心に立ちこめていた。
その町のいっさいの色を奪って、雪が降っていた。
一両きりのディーゼルカーの箱から降り立った場所は、駅のホームに違いなかっただろう。
- 関連記事
-
-
東野圭吾さんの嘘をもうひとつだけの表現、描写 2021/02/08
-
乃南アサさんの未練の表現、描写 2021/02/04
-
浅田次郎さんの鉄道員(ぽっぽや)の表現、描写 2021/02/01
-
七月隆文さんのぼくは明日、昨日のきみとデートするの表現、描写 2021/01/27
-
原田マハさんの暗幕のゲルニカの表現、描写 2021/01/23
-
小説から表現、描写を学ぶ。坂木司さんのウインター・ホリデーより 2021/01/16
-
浅田次郎さんの日輪の遺産より表現、描写を学ぶ 2021/01/12
-
原田マハさんの奇跡の人の表現、描写 2021/01/06
-
坂木司さんの僕と先生の表現、描写 2020/12/26
-
原田マハさんの異邦人(いりびと)の表現、描写 2020/12/22
-
原田マハさんの生きるぼくらの表現、描写 2020/12/12
-
東野圭吾さんの聖女の救済の表現、描写 2020/12/07
-
坂木司さんのワーキング・ホリデーの表現、描写 2020/12/05
-
薬丸岳さんの闇の底の表現、描写 2020/11/27
-
東野圭吾さんの夢幻花の表現、描写 2020/11/23
-
- テーマ:文学・小説
- ジャンル:小説・文学
- カテゴリ:小説から表現、描写を学ぶ
- CM:0
- TB:0